「好きです」

掠れる声で告げた先には、赤いコートの退治人が立っている。端然とした眉をわずかに曇らせて、伝える言葉を探しているようだった。夜ごと月の下を駆ける白い手が、括った髪の下の首筋を撫ぜている。
元より、困らせるのは知っていた。それでも、白銀の睫毛が碧眼を蔭らせるのを見たくなくて、未練たらしく言葉を重ねる。

「わた、私じゃ駄目ですか」

出した声はいっそ滑稽なほどに情けなかった。語尾が上がり切らず、疑問の形も成せていない。その弱弱しさにますます心が沈み、視線が地面に落ちた。

ヒヨシさんは、いつかの夜に私を助けてくれた退治人だ。ピンチを救われたという安直で捻りのないきっかけで恋に落ちた私は、以来、愚かにもこの恋を手放せなかった。
ヒヨシさんが奔放な性質なのは、知り合ってすぐに分かった。それでも構わなかった。一番にしてほしいなんて大それたことは望まない。少しでも傍にいられるのならなんでも良い。
けれど、彼は私をそういう対象に選ばなかった。唯一どころか大勢のひとりにもしてくれない。用事を作って会いに行った先で、礼儀正しく親切に一線を引かれ続けた。
私がもっと軽い気持ちだったら、きっと彼は応えてくれただろう。中身の入っていない甘い言葉をたくさん交わして、明るくて楽しい夜を過ごし、思い出にも満たない接点のひとつになれただろう。
仮定には意義も意味もない。現実は、私は重々しくてぐずぐずとした気持ちでヒヨシさんを好きになってしまったし、彼はその恋慕に気づいてしまった。
ヒヨシさんは優しいので、柔らかくにこやかでありながらも、私に勘違いさせるようなことはしなかった。同時に、私が決定的なことを言わない限り、彼も決定的に跳ねのけることはできない。
そうして、真綿でくるまれた拒否に見ないふりをして進み続けた先で、私はついに一歩も動けなくなった。そうなるともう、飛び降りるより他に道はない。自分の恋を殺すために口にした「好き」は、哀れっぽく震えていた。

「駄目なんかじゃない」

かけられた声に視線を上げると、凪の湖のような真摯な瞳と目が合った。ヒヨシさんは目を合わせたまま、「きみが駄目なんてことない」ともう一度はっきりと口にする。ひどく真剣な表情をしていた。初めて会った日の、退治人としての表情が重なる。

「俺が、きみに相応しくないんじゃ」

何でもないように方便の誠実を紡ぐ。夜に輝く月のような色をした、太陽みたいに快活な人。このうつくしい髪が、瞳が、心根が好きだった。

「俺みたいな男に捕まったらいかんよ」

ヒヨシさんが眉を下げて笑う。断ち切る時にすら相手を慮り、決定的な否定を口にしない。私が好きになった人は、やはりどこまでもやさしかった。

恋重荷

20211127

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