昔の人は、恋を「色に出でにけり」と詠んだ。
「色」とは表情を指すらしい。
なるほどその通りである。さすが先人はよく言ったものだ。
ただし、更に付け加えるならば。
私の意見としては。
恋の色は、多分、瞳に現れる。
ロナルドさんは巷で人気の吸血鬼退治人だ。
若くして個人事務所を構え、日々新横浜の治安維持に努めている。作家としても活躍し、本人の退治人家業を元にして書かれる著作は、特に女性読者からの支持が厚い。直接話すと気取らない人柄で、腰が低いと言っていいくらいの謙虚さを持つ。すべてが彼の一面で、だけど切り口によって印象ががらりと違う。多面的な人物像を持つ人である。
私にとって、最も印象的なのはその目だった。
空を丸ごと閉じ込めたような、明るくて広大な双眸。普段は柔らかいのに、吸血鬼と敵対する時は怜悧に光る碧眼。
その瞳が、私と目を合わせると、どうにも……可憐、なのだった。
もう一度宣言しておこう。
「可憐」である。
言い間違いでもなければ人違いでもない。正真正銘、私の目から見たロナルドさんは、無垢で可憐な人だった。
想像が難しいだろうか。
具体例を出そう。
例えば、こうだ。
ひとつ。
私の姿を目に止めるといつも駆け寄ってきてくれる。満天の星を閉じ込めたような瞳と、赤く上気した笑顔で。背景には少女漫画が如く点描のお花を背負っている。
ひとつ。
やたらとお土産をくれる。コンビニの新作スイーツや私の好きなキャラクターもののグッズから始まり、最近は絶妙に可愛くないご当地ゆるキャラグッズといった攻めたチョイスも見せるようになった。そういう細々したものたちを、「お好きでしたよね?」「良かったらどうぞ!」とニコニコと手渡されるのだ。小さなマスコットはもらうたびに冷蔵庫の扉に磁石でくっつけているので、私の家のキッチンはロナルドさんのお土産博覧会になっている。
ひとつ。
よく電話が掛かってくる。
パトロールの隙間だったり、休日の夜だったり、タイミングはバラバラだ。脱稿直後のテンションが上がってる時は、今回の原稿が如何に大変だったかを熱心に語り聞かせてくれて、とても面白いので楽しませてもらっている。
電話を気軽にかけるタイプなのかとそれとなく聞いてみたら、「そうですね。仕事とか、用事とかでは割とよく」と返された。その週に入って二回目の電話の、仕事でも用事でもない、おやすみ前の雑談トークで。じゃあこの電話は?と聞けなかった。私は意気地なしなので。
あとは、なんとなくちょっと距離が近かったり、その割にうっかり触れてしまうと飛び上がったり、それから照れに照れながら頬を赤らめて微笑んでくれたり。そうして、目を合わせるたびに、ロナルドさんの瞳は無垢でいじらしく可憐に揺れる。
まあその、つまり。
つまり、ロナルドさんは私のことが好きらしい。
それは良い。実は私もロナルドさんのことが好きなので、願ったり叶ったりだ。そのことは問題ではない。
問題は、当の本人には自覚がないらしいことだ。
△▼△
会社帰りに新横浜退治人組合に寄ってマスターと談笑していると、ロナルドさんとドラルクさんとジョンが現れた。
ロナルドさんは私を視界に入れて、パッと虹彩をきらめかせる。
「さん、こんばんは」
「こんばんは、ロナルドさん。お仕事お疲れさまです」
「ありがとうございます! あの、さんもう帰るところですか? 俺、送るんで待っててください。ちょっと事務所に寄って来るんで。待っててくださいよ、絶対ですよ」
赤い退治人は殊更に念押しした上で、「ドラ公、ちゃんともてなしとけよ!」とバディの吸血鬼に言いつけて去って行った。
ロナルドさんからの好意は雄弁に伝わっている。私にもだし、周りの人たちにも、それはもう、ばっちりと。
最初は「にやにや」だった周囲の反応が、そのうち「あらあら」になり、今はもう……「やれやれ」とか「おいおい」とか、そんな雰囲気だ。無言の圧に「いい加減にしろよ」と言いたげな気配を感じる。
ロナルドさんが去ったギルドは、今まさにそういう空気感に満ち満ちていた。
針のむしろよりはマシな座り心地のカウンターチェアにモゾモゾと身体を押し込む。最近はいつもこうである。周囲の視線に気付かないふりで、ロナルドさんが戻ってくるまで辛抱してやり過ごす。
そのはずだったのに、今夜は違っていた。
「早く付き合っちまえよ」
ボソリ、と零された言葉で、ギルドの空気が一瞬にして張り詰める。
遂に言われてしまった。
今まで視線では散々語られていた上、最近はもうマジでウンザリだわみたいな雰囲気がたちこめていたけど、それでも誰も、口にしたことはなかったのに!
私は発言の主であるショットさんに詰め寄った。
「ひどい! なんで言っちゃうんですか!」
「今更だろうが」
ショットさんは目の前で取り乱した女を捨て置いてメロンソーダを啜った。ひどい。きっと血の色も緑に違いない。
周囲に自然と人が集まり、ギルドはいつの間にか円卓会議の様相を呈していた。議長(ドラルクさん)が投げやりな調子で口を開く。
「一応……一応の事実確認だが、あのゴリラの気持ちには気づいていただろう?」
「…………あの、たぶん、もしかしたら、そうなのかもとは……」
「確実に、間違いなく、そうだよ」
はっきりきっぱりと、噛んで言い含めるように断言される。
はい、そうです。九割九分九厘で分かっていました。今のはちょっとカマトトぶってみただけです。
小さくなって内省していると、退治人女子たちが畳み掛けてくる。
「勝手なこと言って悪いけど、もういい加減俺らも見飽きたっつうかよ」
「あのニブチンにさっさと言うこと言ったらどうね」
「ロナルドに任せてたって進まないんだから、アンタがビシッと決めちゃいなさいよ」
「そんな、わ、私だって恋愛に関しては女子中学生くらいのレベルですよ! こんなこと言いたくないですけど!」
本当に言いたくない。なぜ衆目の面前で己の恋愛偏差値の低さを声高に叫ばなければならないのか。アワアワと歯の根の合わない私の前に、ドラルクさんが進み出る。
「ロナルド君は幼稚園レベルだよ。君の方が上級者。おめでとう」
「だからです。荷が重すぎます」
「君、一生このままってワケにもいかないでしょうが。腹を括りたまえ」
「ドラルクさんはロナルドさんのあの目を正面から見てないからそんなことが言えるんです」
「やめてくれ、見たくない」
ドラルクさんは不快なものが喉元まで込み上げてきた仕草をした。
「とにかく、これ以上場所を憚らず『花とゆめ』するのをやめていただきたい」
その言葉をもって、議会は解散した。やれやれお疲れさまという雰囲気だ。待ってほしい。私は了承していない。
「待って、」
「さん、お待たせしました!」
ドラルクさんに縋り着いたタイミングで、点描のガーベラを背負ったロナルドさんが帰ってきた。ロナルドさんの青い目が、ドラルクさんの腕に絡む私の手を捉える。
まばたきの一瞬で、ドラルクさんの顎にニーキックが叩き込まれた。
ドラルクさんのマントが崩れ落ち、袖を掴んでいた手が離れる。
「おい何やってんだクソ砂!」
ギャーギャーと賑やかになったギルドの片隅で途方に暮れていると、マスターと目が合う。助けを求める気持ちで見つめたら、「応援してますよ」とニコリと微笑まれた。四面楚歌だ。
△▼△
クエスチョン。
告白って、どうやるんですか?
恋愛と縁遠い人生を送ってきた身に過ぎたる課題を出された私は悩みに悩んでいた。
独力では打開できる気がしなかったので友人に相談したところ、「雰囲気を作れば行ける」と助言された。かつて友人は大学の学祭中に意中の彼を呼び出し、花火が上がったタイミングで告白してオーケーをもらいお付き合いすることになったそうだ。今ではその人と結婚して既に一児の母。信憑性については折り紙つきである。
今日はロナルドさんと夜のハイキングに行く予定となっている。「月の見える丘で天体観測をしましょう」とキラキラした瞳で誘われた。あれで自覚がないのだから怖い。素でロマンチックすぎないか。
と、いうか。
今までに幾度となく繰り返した思考が立ちのぼる。
実際のところ、あの素敵な人がモテないなんてことあるだろうか。かっこよくて、頼れて、優しくて、作家活動までしている人気退治人。恋の欲目を差し引いても、モテない方が不自然なことは間違いない。
待ち合わせ場所へ移動しながら、思考と歩行が並列で進む。
過去の遍歴にこだわるつもりはないが、告白の戦略を立てる上で考慮しておきたい事項ではある。恐らく学生時代に元カノの1人くらいはいただろう、と考えた後、私を見つめる無垢な瞳が記憶の片隅をよぎる。中学時代の片思い……いや、小学生のバレンタインチョコくらいなら……? 幼稚園の先生に初恋、まで後退したところで、目の前を既知の顔が通りかかった。
「あ! ちす!」
「武々夫くん、こんばんは」
「なんか持ってないすか」と請われるまま飴玉を渡す。「あざーす!」と即包装を破って口に放り込む明るい顔を見て思いついた。
武々夫くんはロナルドさんと仲がいいみたいだし、何か知ってるかもしれない。
すっと近寄ると、武々夫くんが距離感を度外視した声量で「何すか!」と言う。元気なのは良いことだ。
「ね、武々夫くん、ロナルドさんとその……こ、恋バナとか、したことある?」
大人になって口にする「恋バナ」という単語はなかなかに気恥ずかしいものがあった。もう少し婉曲的な表現を使えば良かったと恥じ入る私に構わず、武々夫くんはあっけらかんと答える。
「ありますけど、ロナルドさんはカメの話してましたよ」
「カメ?」
脈絡のない単語にきょとんとしてしまう。恋バナ。カメ。
「俺がエリの話したら、ロナルドさんが昔カメ飼ってたって」
「ワオ」
思わず海外のコメディドラマのようなリアクションを取ってしまった。なんてことだ。まさかとは思うが、もしかして、実のところ、察するに、話すような恋バナがなかったっていう……? 今の、私へのこれが初恋ってこと? 想定すらしていなかった事態に動揺が走る。どうしよう、「幼稚園の先生」レベルですらないなんて。
往来で頭を抱えそうになったところで、件の赤色がやって来た。
「あっさん!」
私を見つけたロナルドさんが点描のフリージアを背負って顔を明るくした。次いで、武々夫くんの存在に気づく。スっと喜色の失せた無表情が私と武々夫くんの距離の近さに視点を止めた後、殆ど一歩に近い歩幅でこちらへと近づいてきた。ついヒュッと息を飲む。速すぎて地面が縮んだかと思った。
「ロナルドさんちっす!」
「おう。武々夫、店長が探してたぞ」
武々夫くんは「ヤベッ」と走り去った。恐らく勤務中だったのだろう。仕事を邪魔してしまい申し訳ない。
走り去る武々夫くんをぼんやりと見送っていると、視界にロナルドさんが割り込んだ。
「武々夫と何話してたんですか?」
形の良い眉をへなへなと下げている。青い硝子玉の瞳が涙の膜をたたえて、ラムネのビー玉のようにキラキラと輝く。
「ロナルドさん、昔カメ飼ってたんですってね」
「はい。……え? あ、俺の話してたんですか?」
ロナルドさんが涙を引っ込めてはにかんだ。背景に点描のかすみ草が咲き誇る。可愛い。今この瞬間、間違いなく私よりロナルドさんのほうが可愛い。
駄目だ。
内心で白旗を上げた。敗北である。やはり私にはこの無垢な人に恋の概念を教えることなど出来はしない。
……何て言うか、もう少し、このままでも良いのではないだろうか。
私の耳元で悪魔が囁く。
正直、ロナルドさんの好意にあぐらをかいている自覚は、ある。あるけれど、それを承知で敢えて言わせてもらおう。
だって、ロナルドさんだって今のままで満足だから自覚が芽生えてないわけで。私もそれで良いわけで。ほら誰も困ってない。ギルドのみんなからの圧力については蓋をしておく。
今晩に向けて考えていたすべてを意識の外に追いやって、並んで歩くロナルドさんに笑いかけた。
「お星さま、楽しみですね」
「楽しみですね。俺、星座盤持ってきました」
ああ神様、私は卑怯な人間です。
だから、あともう少しだけ。
もう少しだけ眠っていてね
(どうか、もう少しだけこのままでいさせてくださいと、心の中で手を合わせた)
2025/05/06