どなたでもお気軽にお入りください。
新横浜駅から徒歩七分の街中に位置する、ロナルド吸血鬼退治事務所の入り口を飾る一文である。おお、なんと素晴らしい響きだろう。『どなたでも』というところが特に良い。『どなたでも』『お気軽に』。つまり、私のような吸血鬼も入れるということである。
「ロナルドさぁん♡」
「お前また来たの?」
「はぁい、ロナルドさんに会いに来ちゃいました」
事務所のドアから直通でロナルドさんの元に歩み寄り、呆れ顔を無視して腕を組み胸を押し付ける。我が血族が武器のひとつ、魅惑のふわふわおっぱいである。そのまま上目づかいに見上げると、ロナルドさんは真っ赤な顔をして「そういうのいーから」と私の額をぐいぐい押して遠ざけた。
「本気なのにぃ」
「言ってろ」
名残惜しいが、ここは抵抗せず大人しく離れることにする。筋力の差は歴然である。先ほどよりやや遠い位置から見上げたロナルドさんの顔は、もう赤みが引いていた。
ロナルドさんはかつて私を捕まえた退治人である。
遡ること数年前、私は人間たちを侍らせてハーレムを作っていた。なにがしかの目的があったわけではなく、我が血族のライフワークのようなものだ。私の一族は異性に求心力を発揮する体質に生まれつく者が多い。曾祖母曰く、古くは人間たちにサキュバスと呼ばれたこともあったらしい。
私もご多分に漏れず発達段階にハーレム形成が組み込まれていたわけだが、囲っていたのはせいぜい数人程度であり、遠縁の親戚のように街まるごとなんてヤンチャはしていない。吸血鬼としての能力を使って強制的に人間を洗脳していたわけでもない。私は軽いチャーム能力を持っているが、縛りプレイに燃えるタイプなので基本的には使用しないことにしている。そうなると、多少耳が尖っているだけで、ほとんど人間みたいなものだ。あとは興奮すると瞳孔の奥がハート型に光るとか、その程度である。
それなのに、こんなにもか弱くて可愛らしい吸血鬼に対し、吸血鬼対策課は討伐命令を出し、退治人組合と共同戦線を張ったのだ。どう考えても自由恋愛の範囲だったというのに、まったく、お役所は考え方が固すぎる。
結局、私は退治され、ハーレムは分解された。ハーレムの構成員たちはみんな自ら進んで私と一緒にいたがっていたため、吸対に隔離され別れることになったときは泣いていた。かわいそうに。「仕方がない。美人に生まれついた宿命だ」とは、熱烈キッスちゃんの談である。キッスちゃんは仲良しのお友達だ。同じサキュバス系(と勝手に思っている)で気が合うし、生き様を尊敬している。
捕まった後は一時期VRCに収容されていたが、元々大した能力も持っていなかったことに加え、進んで研究に協力して模範囚を気取ったためすぐに解放された。VRCちょろい。あそこはヨモツザカの独裁政権なので、彼が満足すれば大体のことは通る。お洒落ができないことはつらかったけれど、そこを除けば施設内の生活もなかなか快適だった。
そして、出てきた足でロナルド吸血鬼退治事務所を訪ね、ロナルドさんに告白した。私は、自らが退治された瞬間に、ロナルドさんに恋をしたのだ。吸血鬼として生を受けて以来、はじめての、本物の恋である。
もうハーレムなんて作ってないし、もはやロナルドさん以外の男性には微塵も興味はない。頻繁に時間を作っては事務所に通い詰め、せっせとアピールしている。事務所以外でも、みなとみらいで観覧車に乗ったり、中華街であんまんを半分こしたり、横浜スタジアムに野球観戦に行ったり。ロナルドさんは人がいいので、誘うと結構お出かけに付き合ってくれるのである。チョロい。かわいい。大好き。
そうしてコツコツと積み上げた猛攻は、驚くことに、まったく本気に取られていなかった。腕を組んだり抱き着いたりと接触をはかると、都度照れてはくれる。くれるけれど、それだけである。私の好意をまるで信じていないのだ。遊びに行くのも、たぶん引率程度にしか思っていない。何ともはや、目を瞠るような響かなさである。
「ね、ロナルドさん、今度はサッカー観に行きません?」
「ウオオオオォォォやぁぁぁぁぁめろって」
次のデートのお誘いをしながら後ろから抱き着くと、流れるような動作で身体を反転させたロナルドさんに抱え上げられハグを解除された。なに今の、そういう技? 目を瞬いているうちに地面に下ろされ、困ったように見下ろされる。
「よく聞け。こういうことは軽々しくするもんじゃありません」
「重い気持ちでしてますよ」
「真面目に言ってんだよ」
ロナルドさんは生徒の非行を咎める夜回り先生のような態度で滾々と諭してくる。私は一応ロナルドさんよりかは年上なのだが、どうにも見た目の印象からか、聞き分けのない年下の子のように思われている節がある。
見当違いのお説教にかかずらうつもりはないので、しばらく先生モードの真面目な表情と素敵な声を堪能した後、隙を見て口を挟んだ。
「じゃあこれから気を付けますから、ロナルドさん、サッカー行きましょ?」
「なあ本当にちゃんと聞いてた?」
「聞いてましたよぉ。ね、ジョンがサッカー好きじゃないですか。二人と一玉でどうですか?」
秘儀・『ジョンといっしょ』を発動する。私は使える手段はすべて利用するたちなのである。案の定、ロナルドさんは「二人と一玉か……」と分かりやすく心が傾いた様子を見せた。胸中で勝利を確信していると、ロナルドさんのスマホが鳴る。
「はいッロナルドでぁッ」
画面を確認したロナルドさんが赤い残像を残して部屋を飛び出した。あの慌てぶりからしてフクマさんからの電話だろう。戻ってきたらお出かけの予定を詰めようと考えながら、キッチンのドラルクさんの方に声をかける。
「ドラルクさんお邪魔してます、何か手伝うことありますかぁ?」
「いらっしゃい。客人のレディーに仕事なんてさせませんよ。紅茶でも飲んでいなさい」
「ありがとうございます。いただきまぁす」
ドラルクさんが美しい所作で用意してくれた紅茶をありがたくいただく。新横浜で指折りの腕前を持つ料理人はお茶を入れるのも上手い。キッチン前のテーブルにはジョンもいて、お茶請けのクッキーを夢中で齧っていた。咀嚼するたびに揺れるふわふわの腹毛に指をうずめて感触を楽しんでいると、ふと料理の手を止めたドラルクさんが口を開いた。
「君さあ、ロナルドくんは五歳児だから、あれじゃ一生やっても伝わらないんじゃない」
「分かってますよぉ」
テーブルに肘をつき、ジョンから離した指を組んであごを乗せる。年長の吸血鬼の忠言ににっこりと微笑んだ私を、ドラルクさんが訝しげに見遣った。
「だってだって、今だけじゃないですか、あんなの。なんにも分かってなくて、かーわい」
うっとりと目を細める。鏡を見ずとも、自分の瞳孔の奥がハート形に光っているのが感じ取れる。ドラルクさんは平素から血の気のない顔を更に青くして「わあ」などと言った。恋する乙女の表情を拝んだとは思えないほど不躾である。罰としてワンキルして砂にしておいた。
うごうごと再生する吸血鬼を横目に、カップの紅茶を飲み干す。
「美味しくいただくのはいつだってできるんですから。そのとき分かるでしょう?」
お皿に乗っているクッキーを摘まみ上げ、ぱっくりと噛みついた。バターの風味が豊かなバニラクッキー。完全復活したドラルクさんが、胸によじ登るジョンを撫でつつ二の句を継ぐ。
「頭から丸飲みにでも? あの青二才には刺激が強すぎるんじゃないのかね」
「ねえ? どんな顔するんでしょうね。あーあ、楽しみ」
ペロリと唇のふちを舐め取る。口紅の苦みとバニラの甘みが口の中に広がった。ドラルクさんが性懲りもなく「うわー」と言ったので、もう一度殺しておいた。
サロメティック・ルナティック
20211106