今年の淳の誕生日は休日である。
休日と言っても人によってその定義は変わってくるが、わたしと淳は恐らく勤め人としては最もメジャーだろう週休二日制の労働に従事しており、つまるところ、この場合の休日とは土曜日のことだ。
思えば淳との付き合いは長いもので、中学で出会い、高校卒業後に付き合い始め、更に一緒に暮らすようになってからもそれなりの年月が経った。当然、お互いの誕生日を祝った回数も相応に積み重なっている。
去年の七月三日には、二人で有休を取って映画を観に行った。あの頃はしばらく外出らしい外出ができておらず、ちょうどよく世間の雰囲気もなんとなく緩んだ頃合いで、「誕生日だから」を半ば口実のようにして遊びに出たのだ。それでも何となく後ろめたくて、朝から映画を観てランチを食べ、昼過ぎには帰宅した。短時間のデートだったが、久々のイベントにお互い気分が高揚したことを覚えている。
今年はもうなんかそういうのはいいよね、ということが二人の合意だった。特別なことはせず、家でゆっくり過ごしましょうというわけである。
本日のスケジュールはその通りに進んでおり、起きてから「おめでとうございます」「ありがとう」を交わして、のんびりと朝食を食べて、今はソファでくつろぎながら撮り貯めたテレビ番組を観ているところだった。
三人掛けタイプのソファは深い海のような青色をしている。一緒の生活をはじめてから共同購入したそれは、二人の生活の象徴のように思えてお気に入りである。
体勢としては、腰掛ける淳を右端に追いやった上で、寝そべったわたしの頭が彼の左太ももを占領している状態だ。いくらソファが幅広だからといって、本来座るために設計された家具は、いい大人が寝そべって余裕のあるつくりにはなっていない。それゆえに少々足がはみ出ているが、生活する上で多少の無作法は気にしないことにしている。淳の方も慣れたものなので、勝手に己の膝を間借りする人間を特に意に介していなかった。
「淳の好きな女優の子、退場しちゃったね」
「あー」
淳はドラマのエンドクレジットを眺めながら気の抜けた返事をした。好きと言っても相対比較対象内での優劣であり、そもそもあまり芸能人に興味がないのである。関心の薄さで言うとわたしもご同様なので、「好きな女優の子」は名前を覚えられないがゆえの言い回しだった。
提供と共に流れる次回予告をぼんやり眺めていると、テレビの隅に表示されるデジタル時計が目に入った。時刻は12時を回ったところで、既に淳の誕生日の半分が終わったということだ。わたしは慌てて身体を起こし、「昼食を作って夕飯の仕込みをします!」と宣言した。
「昼食作るか?」
「そんな、そんな。今日の主役にはさせられませんよ」
へらへらとおどけて固辞すると、淳もそれ以上は主張しなかった。
1LDKのキッチンは片側が壁にくっついたペニンシュラ型で、シンクの前に立つと、ソファに背中を沈ませる淳の横顔が見える。
わたしは手早く昼食を用意しながら、これからのことをシミュレーションした。誕生日らしいことをしない代わりにというわけではないが、夕飯はそれなりにごちそうにする予定である。スペアリブ、ホタテのソテー、夏野菜の彩りサラダ。スープは、我が家ではたまの贅沢品として登場する、専門店の夏季限定冷製ポタージュを用意している。メインディッシュのスペアリブは淳のリクエストだ。本当はバゲットでも添えれば格好がつくのだが、淳はスペアリブのソースを白米に絡めるのが好きなので、主食はお米にする。デザートは小さいホールケーキで、近所のケーキ屋さんで予約している。幸い雨も大丈夫そうなので、夕方ごろ散歩がてら二人で引き取りに行くつもりだ。
淳とは長い付き合いである。出会いは中学生で、高校卒業後に付き合い始めた。誕生日を祝った回数はそれなりにある。今年の誕生日はゆっくりしましょうと二人で決めて、その通りにしている。今年の七月三日は、きっとこのまま何でもない日になるだろう。
けれど、特別な日を特別じゃなく一緒に過ごせるのは、幸福なことである。何でもない日だって、ひとつとして同じではない。近々引っ越す予定もあるので、このキッチンから淳の横顔を眺める誕生日もきっとこれきりだ。
何でもないことだからこそ特別なんだよ、なんてね。
特別じゃない日
20210703 お誕生日おめでとう